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映画『エミリー・ローズ』再考 [映画の中の悪魔]


エミリー・ローズ デラックス・コレクターズ・エディション [DVD]

エミリー・ローズ デラックス・コレクターズ・エディション [DVD]

  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • メディア: DVD


米国映画で『エミリー・ローズ』というタイトルがあります。
実際に起きた実話を映画化したものです。

主人公の女子大生エミリー・ローズは、6匹の悪魔に取り憑かれるのです。元々、信仰心が篤く、純粋無垢な彼女です。彼女から悪魔払い(エクソシスト)を実施しますが、追い出せず、結果的に死ぬことになります。
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このエクソシスト役の神父の裁判を描いた映画です。

取り憑いた悪魔は蒼々たるメンバーです。
「カインに取り憑きしもの」
カインはアダムとイブがエデンの園を追い出されてからの息子です。兄はアベルですが、カインはその兄を殺します。人類至上初の殺人者です。

「ユダに取り憑きしもの」
ご存じの通り、イエスを売った使徒です。金貨の代償でイエスは捉えられます。結局、ユダは自殺をして地獄にいきます。

「ネロに取り憑きしもの」
ローマ皇帝中最悪の皇帝です。多くの善良な人を殺しました。

「レギオン」
これは666の悪霊の塊のようなものです。
元々は悪徳の人間だった魂が集まってできた悪魔です。

「ベリアル」68.gif
大物ですね。失楽園の7つの大罪では、「堕落」を請け負っている悪魔です。元来は天使。パワーズ(力天使)と言われています。

最後がなんと「ルシファー」
サタンが出てきました。悪魔の王です。
元来は幟天使で、天界のNO.2でした。彼の双子の兄弟はミカエルです。このルシファーの扇動で1/3の天使が反逆うぇお起こしました。それで堕天使となったわけです。

エミリー・ローズは聖母マリアに出逢い、一緒にこちらへ(天界)へ来るかと誘われましたが、断ったのです。
世界中の人間に本当に悪魔がいるという証のために死んでいくことを覚悟しました。

悪魔が活発に活動する時間帯は午前3時です。これは午後3時にイエスが死んだ時間のちょうど反対側ですね。

ここまで壮絶だと、人間の力では追い出すことは不可能でしょう。エミリーは悟っていたんです。

「デス・ノート」キラはルシファー。 [映画の中の悪魔]

「デス・ノート」は『DEATH NOTE』(集英社刊『週刊少年ジャンプ』連載)のコミックです。大場つぐみ原作。作画は『ヒカルの碁』でお馴染みの小畑健です。今回、登場人物の1人である「L」にスポットを当てた『L・チェンジ・ザ・ワールド』が公開されるようです。
この作品は日本でも大ヒットしたので知っている方も多いと思います。
主人公の夜神月(映画では藤原達也が演じています)は天才的な頭脳の持ち主。父は警視庁で勤めで、自分も将来は警視庁勤務を望んでいる正義感の強い若者です。
ある日、ひょんなことから「Deth Note」たるものを拾ったことによって物語が始まります。このノートに名前を書かれた者は死ぬ、死神のノートです。実際に死神リュークも登場します。彼は正義感から極悪人たちを次々に殺害していきます。やがて「キラ」と呼ばれるようになるわけです。
そこへ、名探偵「L(エル)」が登場します。映画では松山ケンイチが演じているこのLも天才です。学生ながら難事件を解決し、FBIですら手駒として動かす力を持っています。この天才二人が闘うわけです。
Lは夜神月がキラだと疑っています。名前を知られたら負け、その前に夜神月がキラであることを証明できれば勝ちなわけです。頭脳と頭脳の勝負といったところです。
この作品をみると、まさに「ルシファー」と「ミカエル」を彷彿とさせます。
彼らは双子とも言われており、非常に似ています。キラもLも似ています。実際にLはキラのことを、「幼稚で負けず嫌い・・自分と同じように」と言っています。
そして正義感も同じように似ています。最初のキラは平和で安全な・・悪人のいない社会を作る「正義」のためにノートを使っていました。この志がやがて「傲慢」によって変化していきます。
実際に夜神月は自分を神と呼んでいます。神に近づこう、神になり変ろうという傲慢によって、月(ライト)は悪魔になったのです。一方、Lはそのキラの分身でもあるが如く、その善の部分が分離したかの人物でしょう。キラのように派手さはないが、その意思の強さと正義を愛する心はまさにミカエルです。
実際にはミカエルはルシファーに負けませんが、この作品では負けるようです。ただ、その後のLの後継者がキラを追い詰めますが。
社会の秩序を守るという大義名分を掲げて、自分の欲望のために人を殺す・・まさしく悪魔と言えます。


映画「セブン」にみる「7つの大罪」 [映画の中の悪魔]

「セブン」は1996年に公開された米国映画です。ご存知の方もいらっしゃると思います。主演はモーガン・フリーマン、ブラッド・ピット。共演者は、ケヴィン・スペイシー、グウィネス・パウトロー。この映画で、K・スペイシーはその存在感を遺憾なく発揮しました。彼の演じるジョン・ドゥという役が今回の『7つの大罪』もテーマです。ちなみに映画の粗筋を少々。ブラッド・ピットがミルズという名の新米刑事。M・フリーマンが後1週間で定年を迎えるサマセット刑事役です。2人がコンビを組んだその日から事件が始まります。
異様な姿の殺人現場にはジョン・ミルトンの『失楽園』で引用されている「7つの大罪」の言葉が書き残されていました。ミルズは狂人の犯行と片付けたがりますが、サマセットはこれは重大なる連続殺人であることを見破ります。最終的にはミルズの妻でありG・パウトローが、K・スペイシー演じるジョン・ドゥに首を切られて殺され、その中身を見たミルズが彼を射殺して終えます。
これはジョン・ドゥが全て仕組んだ殺人劇でした。
彼は7つの大罪に当て嵌めて、一般の罪の無い人間(ジョン・ドゥ曰く罪の塊)を殺します。最終的に自分が嫉妬による罪を犯すことによってミルズに殺され、永遠に人々の心にこの一連の事件を植え付けることに成功しました。

「7つの大罪」は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作に初めて8つの「枢要罪」があらわれたのが起源とあります。8つの枢要罪は厳しさの順序によると「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」で、6世紀後半にはグレゴリウス1世により8つから現在の7つに改正されます。
順序も現在の順序に仕上げられました。「虚飾」は「傲慢」に含まれ、「怠惰」と「憂鬱」は1つの大罪となり、「嫉妬」が追加されたわけです。
「傲慢 」(superbia)、「 嫉妬」(invidia)、「 憤怒」(ira)、「怠惰」(acedia)、「強欲」(avaritia)、「暴食」(gula)、「色欲」(luxuria)となります。
一方、ジョン・ミルトンの『失楽園』は、、イギリスの17世紀の詩人、ジョン・ミルトンによる旧約聖書の『創世記』をテーマにした叙事詩的な作品です。神に叛逆した堕天使ルシファーの再起と、ルシファーの人間に対する嫉妬、およびルシファーの謀略により楽園追放に至るのですが、所謂 原罪を自覚して、甘んじてエデンの園を去る人間の姿を描いています。
ミルトンは悪魔学の専門家ではありませんでした。
でもミルトンによる悪魔学の解釈はその後のキリスト教に影響し、ルシファーに関する逸話に大きな影響を与えます。ミルトンの詩の中では、ルシファーは神の偉大さを知りつつ、服従よりも自由に戦って敗北することを選ぶ、一種の英雄として描かれています。
すなわち、この「セブン」では、ジョン・ドゥこそが英雄として描かれるわけです。本来は、ルシファーは「傲慢」の罪によって堕天します。そして天使の三分の一を引き連れて一大悪魔軍団を組織します。元々は熾天使ルシフェルですから、その影響力も絶大だったのでしょう。この映画では最後の7つ目の大罪・・ジョン・ドゥの罪・・が「嫉妬」となっていますが、考えようによってはこの「嫉妬」が最も大きな罪かも知れません。
ルシフェルは神に近づこう、追い越そうとしたことにより堕天しました。彼は「傲慢」の罪ですが、その前に神への・・神の力の「嫉妬」があったはずです。
神への「嫉妬」が心の中に芽生え、「傲慢」な行動を取ったと解釈しても左程焦点はずれていない、と思います。
ですからこの「セブン」のジョン・ドゥは、自らがルシファーであることを示したかったのではないでしょうか?
ひょっとすると、彼はルシファーそのものかもしれません。
ルシファーが受肉化した存在として、現在に出現した・・そう考えると「セブン」も興味が湧きます。


悪魔の棲む家の悪魔は恐るべし [映画の中の悪魔]

2005年米国映画「悪魔の棲む家」は1980年のリバイバルで再公開されました。2005年度ものは、地下室の無気味な声によって主人公が狂い寸前のところで家族を皆殺しにする、というものです。リバイバルのシナリオもほぼ80年ものと同じですが、地下室の主が悪魔ではなく悪霊というところが異なります。元は人間だった家の持ち主が、悪魔と契約を交わして自ら悪霊になった、という設定でした。
1980年ものは、まさしく悪魔が登場します。それもとっておきの悪魔です。
地獄の帝王と言われ、聖書にも記されており、ルシファーの次に有名な悪魔です。
蠅の魔王とも言われるベールゼブブです。

このベルゼブブは、元はバールゼブル、ベルゼブルといい、「高所の神」というヘブライ語の意味でした。ところがキリスト教は1神教ですから、他の神を許しません。よってなぜが糞尿の意味のゼブブを付けられ、ベルゼブブとなったようです。
イエスが悪魔を追い払う奇跡を行った時に、パリサイ人たちはイエスに「イエスこそがベルゼブブに取り付かれている。悪魔の力を使ったのだ。」と言うと、イエスが「どうしてサタンがサタンを追い出せよう。国が内輪もめをしては成り立たない。悪魔も内輪もめして争えば滅びてしまう」(マルコにようる福音書第3章)と反論します。
またベルゼブブはイエスがゴルゴダで十字架に架けられた時、地獄の門に命令を下し、イエスを冥府に閉じ込めようとしますが失敗する、という話も残されています。
そんな強力な悪魔ですから、普通の人間には太刀打ちできません。
「悪魔の棲む家」はなんと地獄につながっておりベルゼブブが管理していた、というお話でした。
次回は、久々に天使について記述したいと思います。


エクソシストの考察 [映画の中の悪魔]

1974年の米国映画「エクソシスト」はこれまでのホラー映画の新境地を開拓しました。もう言うまでもないのですが、「決して1人で見ないでください」のキャッチコピーは未だに耳に残ります。
主演のリンダ・ブレアはこの映画で一躍人気が出ました。
この映画もエクソシスト、すなわち悪魔払いですから、悪魔が出てきます。2人の牧師を死に追いやる壮絶な戦いを繰り広げました。この悪魔は「パズズ」と言って元は古代メソポタミアの風の魔神でした。ペルシャ湾から吹き注ぐ熱風が、その地方の熱病をもたらしたことから、風の悪魔とされたわけです。
パズズは、ライオンの頭に、額には角が生え、ライオンのような鋭い爪がある手に、背中に翼、尻尾は蠍という、化け物のような容姿をしています。
このパズズ、人間に対しても禍を及ぼすだけでなく、神々に対しても妥協をしなかったと言われています。
たいていの悪魔は神々にひれ伏すものですが、このパズズは屈することがなかったと伝えられています。


「エミリー・ローズ」・・少女に摂りついた6匹の獣 [映画の中の悪魔]

2005年公開の「エミリー・ローズ」では、19歳の少女が6匹の悪魔に取り付かれる映画です。この映画も所謂、エクソシストものなのですが、実話を元に作られました。

現実に悪魔払い裁判が行われたのです。



この映画では 悪魔払いをした神父が、医学療法を中止して薬の服用を止めたことが、過失致死に問われた裁判です。



ここで衝撃なのは、悪魔払いを行うシーンでしょう。

エミリーもアラム語・ギリシャ語・ラテン語などの古代言語を使って、神父を罵倒します。少女とは思えない力で、父親を投げ飛ばし、エクソシストを見守っている医師の首を絞めるのです。



当の本人エミリーには6匹の悪魔が棲みつきました。古くは、カインの内に棲んだ者。カインは人類初めての殺人を犯す人です。しかも殺すのは実の兄のアベルでした。



次にユダの内に棲む者、3番目がネロの内に棲む者。

4番目がレギオンの1人。このレギオンは、「Legions」と書き、軍団を意味しています。悪魔の軍団は6666個あり、各軍団には6666匹の魔人から成るため、総数では4443万5556匹となります。その頂点には、名の知られている72匹の指揮官がいます。



5番目がその指揮官の1人である「べリアル」です。べリアルは地獄の大王という称号を持ち、元は熾天使であったと言われ、外見は素晴らしく物腰も優雅で美しい声で話すと伝えられています。「邪(よこしま)な者」「反逆者」「従わぬもの」と呼ばれる正真正銘の実力者です。



最後に名乗ったのが、「ルシファー」です。大天使ミカエルの双子、「明けの明星」「光を運ぶもの」「輝ける暁の子」と呼ばれ、こちらも元は熾天使(セラフィム)です。ルシファーについては後日語るとして、この映画では、自分のことを「肉体を持つ悪魔」と表現しています。「肉体」を持っているのはイエス・キリストだけのはずなのに、なぜ自分のことをそのように評したのでしょうか?

ここらあたりが、謎を解く鍵かもしれません。

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次回も映画の中の天使・悪魔を紐解いていきたいと思います。


「コンスタンティン」で見るハーフブリードは的を付いている [映画の中の悪魔]

天使と悪魔は本当に存在するのか?というかなり形至上学的な問題を取り上げていますが、ちょっと考えてみてください。

人間は唯一「魂」を持っている生物です。他の動物は本能で生きているので、「魂」とか「精神」というものがありません。人間の肉体は、細胞でできています。その細胞とはアミノ酸が結合してできたものです。単純に元素の集まりです。その元素の集合が人間の脳を形成しています。では単純な元素の集合である脳に、なぜ「魂」たるものが存在するのでしょうか?

いったいなぜ、「魂」があるのでしょうか?誰がそこに「魂」を入れたのでしょうか?

謎です。何か大いなる力を感じませんか?



話は戻って、映画「コンスタンティン」ですが、キアヌ・リーブスことジョン・コンスタンティンというエクソシストの話であります。レイチェル・ワイズがヒロイン役で、彼女を介して、地獄のマモンが地上に現れることを阻止する物語です。



この映画で面白いのは、「ハーフブリード」という考え方です。堕天使の反乱によって天界大戦争が起こり、結局、大天使ミカエル率いる天使軍が、ルシファー率いる悪魔軍に勝利します。そこで善と悪のバランスを取るため、地上に肉体を持った天使と悪魔が、一般の人間と一緒に日常生活をしているわけです。

ここでは大天使ガブリエルが、ハーフブリードとして登場しています。



天使も悪魔の霊的存在ならば、肉体は持っていません。唯一歴史上、霊体でありながら肉体を持っているのはイエス・キリストだけです。

もしかしたら・・霊体であった天使や悪魔が、肉体を貰って地上に存在していたと仮定したらどうでしょう。

天使ならば 天界での功績によって、肉体を持つことを許される。そして天使であった事を一時忘れて、地上で生を授かり、死してまた天界に戻る。同じように悪魔も然りです。

あくまでも仮説ですが・・・。



尚、肉体を持った霊体については、「エミリー・ローズ」という映画でもほんの少しだけ触れています。


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