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映画「セブン」にみる「7つの大罪」 [映画の中の悪魔]

「セブン」は1996年に公開された米国映画です。ご存知の方もいらっしゃると思います。主演はモーガン・フリーマン、ブラッド・ピット。共演者は、ケヴィン・スペイシー、グウィネス・パウトロー。この映画で、K・スペイシーはその存在感を遺憾なく発揮しました。彼の演じるジョン・ドゥという役が今回の『7つの大罪』もテーマです。ちなみに映画の粗筋を少々。ブラッド・ピットがミルズという名の新米刑事。M・フリーマンが後1週間で定年を迎えるサマセット刑事役です。2人がコンビを組んだその日から事件が始まります。
異様な姿の殺人現場にはジョン・ミルトンの『失楽園』で引用されている「7つの大罪」の言葉が書き残されていました。ミルズは狂人の犯行と片付けたがりますが、サマセットはこれは重大なる連続殺人であることを見破ります。最終的にはミルズの妻でありG・パウトローが、K・スペイシー演じるジョン・ドゥに首を切られて殺され、その中身を見たミルズが彼を射殺して終えます。
これはジョン・ドゥが全て仕組んだ殺人劇でした。
彼は7つの大罪に当て嵌めて、一般の罪の無い人間(ジョン・ドゥ曰く罪の塊)を殺します。最終的に自分が嫉妬による罪を犯すことによってミルズに殺され、永遠に人々の心にこの一連の事件を植え付けることに成功しました。

「7つの大罪」は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作に初めて8つの「枢要罪」があらわれたのが起源とあります。8つの枢要罪は厳しさの順序によると「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」で、6世紀後半にはグレゴリウス1世により8つから現在の7つに改正されます。
順序も現在の順序に仕上げられました。「虚飾」は「傲慢」に含まれ、「怠惰」と「憂鬱」は1つの大罪となり、「嫉妬」が追加されたわけです。
「傲慢 」(superbia)、「 嫉妬」(invidia)、「 憤怒」(ira)、「怠惰」(acedia)、「強欲」(avaritia)、「暴食」(gula)、「色欲」(luxuria)となります。
一方、ジョン・ミルトンの『失楽園』は、、イギリスの17世紀の詩人、ジョン・ミルトンによる旧約聖書の『創世記』をテーマにした叙事詩的な作品です。神に叛逆した堕天使ルシファーの再起と、ルシファーの人間に対する嫉妬、およびルシファーの謀略により楽園追放に至るのですが、所謂 原罪を自覚して、甘んじてエデンの園を去る人間の姿を描いています。
ミルトンは悪魔学の専門家ではありませんでした。
でもミルトンによる悪魔学の解釈はその後のキリスト教に影響し、ルシファーに関する逸話に大きな影響を与えます。ミルトンの詩の中では、ルシファーは神の偉大さを知りつつ、服従よりも自由に戦って敗北することを選ぶ、一種の英雄として描かれています。
すなわち、この「セブン」では、ジョン・ドゥこそが英雄として描かれるわけです。本来は、ルシファーは「傲慢」の罪によって堕天します。そして天使の三分の一を引き連れて一大悪魔軍団を組織します。元々は熾天使ルシフェルですから、その影響力も絶大だったのでしょう。この映画では最後の7つ目の大罪・・ジョン・ドゥの罪・・が「嫉妬」となっていますが、考えようによってはこの「嫉妬」が最も大きな罪かも知れません。
ルシフェルは神に近づこう、追い越そうとしたことにより堕天しました。彼は「傲慢」の罪ですが、その前に神への・・神の力の「嫉妬」があったはずです。
神への「嫉妬」が心の中に芽生え、「傲慢」な行動を取ったと解釈しても左程焦点はずれていない、と思います。
ですからこの「セブン」のジョン・ドゥは、自らがルシファーであることを示したかったのではないでしょうか?
ひょっとすると、彼はルシファーそのものかもしれません。
ルシファーが受肉化した存在として、現在に出現した・・そう考えると「セブン」も興味が湧きます。


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